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エドワード・スタッフォード (第3代バッキンガム公爵) : ウィキペディア日本語版
エドワード・スタッフォード (第3代バッキンガム公爵)

第3代バッキンガム公エドワード・スタッフォード(Edward Stafford, 3rd Duke of Buckingham, 1478年2月3日 - 1521年5月17日)は、テューダー朝イングランドの貴族。父は第2代バッキンガム公ヘンリー・スタッフォード。母キャサリン・ウッドヴィルエリザベス・ウッドヴィルの妹であるため、イングランド王ヘンリー7世エリザベスは従姉に当たる。
父はリチャード3世に反乱を起こして処刑、バッキンガム公爵位が廃位されたため、幼いエドワードは公爵位を継げなかった。しかし1485年、リッチモンド伯ヘンリーがリチャード3世を討ち取ってテューダー朝を開くとエドワードをバッキンガム公に叙爵した(新設の公爵位という形)。若年ながらヘンリー7世の様々な儀式を取り仕切り、1495年ガーター勲章を叙勲された。ヘンリー7世の子のヘンリー8世にも恩恵を与えられ、1509年に王冠の戴冠役を務め、1514年には大司馬に任命された。
ところが、1520年に反逆の容疑で逮捕された。さしたる証拠もないまま裁判にかけられ、翌1521年に処刑された。
バッキンガム公爵位は消滅、大司馬も王権に統合された。子のヘンリー1547年にスタッフォード男爵に叙爵されたが、公爵位を取り戻せなかった。バッキンガム公爵位が復活するのはジェームズ1世が寵臣のジョージ・ヴィリアーズを叙爵した1623年である。
== 子女 ==
1490年、第4代ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーの娘エレノアと結婚、4人の子を儲けた。
#メアリー(1494年 - ?) - 第5代アバガヴェニー男爵ジョージ・ネヴィルと結婚。
#エリザベス(1497年 - 1558年) - 第3代ノーフォーク公トマス・ハワードと結婚。
#キャサリン(1499年 - 1555年) - 第4代ウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィルと結婚。
#ヘンリー(1501年 - 1563年) - スタッフォード男爵

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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